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医療崩壊—「立ち去り型サボタージュ」とは何か [活字中毒のトモ]


医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

  • 作者: 小松 秀樹
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2006/05
  • メディア: 単行本


*読み応え: 50 点
*コストパフォーマンス: 30 点

虎ノ門病院泌尿器科の部長、小松秀樹氏の著書。
現役の医師が、日本の医療制度を憂える本。

医療は絶対ではないのに、
治療して病気が治らなかったら、患者やその家族から医師が責められる
諸外国と比べてみても、日本の医師や看護師は
少人数で神業に近い医療を提供しているのに
仕事でミスをすれば、あっというまに刑事責任が問われる
だから、勤務医になりたがる医者がいない
働き盛りの医者は、みんな大病院から逃げ出して、開業医になりたがる
難しい手術を大病院に押し付けて、責任逃れをしたいからだ
開業医だって、もっと責任を負ってくれても良いじゃないか
厚生労働省は、変化を嫌ってなかなか改革を実行してくれないし
マスコミは、世論にしたがってばかりで全く公平な記事を書いてくれない
大病院の勤務医って、ホント報われないんだよ。

というのがおおよその概要です。

うーん、医者も追い詰められているなぁ・・・というのが
読了後の感想。

題名となっている「立ち去り型サボタージュ」というのは
勤務医が、楽で安全で収入の多い開業医にシフトしていき
医療(特に小児救急や産科診療)が崩壊する現象を指すそうです。
社会からの攻撃に対する、医師の消極的対抗手段であるとか。

医局も行政も大学も患者もマスコミも、
すべてがボロクソにこきおろされているので
何をどうすれば良いのか・・・ちょっと改善策を思いつけませんでした。
個人としては、治療を医者任せにしないで
自分で医療の知識を蓄えて、病状を正しく認識しつつ
医療ミスが起こって身体に重度の障害が残っても
恨み言を言わずに寛大な心で「まぁ、誰にでもミスはあるんだし」
と納得しろと?
神様じゃあるまいし、そんなの無理だよ。

でも、医師も現代の高度医療についていくのはかなり大変で
決して完全な自信を持って治療に当っているのではない
という事実はよく分かりました。

そうだなぁ・・・個人ができることといったら
医者への依存度を減らすことくらい?
できるだけ自分で病気を治すよう努めて、よっぽどのことがない限り
病院へは行かないとか。
医師がサボタージュなら、患者はボイコット?
良い解決策とはいえませんね。
学校教育に、人命救助とか簡易医療を組み込むってのはどうです?
それくらいなら、私もついていけそうですが。
行政はそんな制度変更を嫌がるのかなぁ。

それと第 5 章で、
大井玄氏の「痴呆の哲学―ぼけるのが怖い人のために (シリーズ生きる思想)」が紹介され

「沖縄の農村では、高度の痴呆があっても高齢者は共同体の中で
大切にされるという。老人は大切にされ行動を阻害されることはない」

「沖縄の農村では多くの人は徘徊を気にしない」

と書いてありましたが、これは本当ですか?
少なくとも、私の家の近所ではそんな話聞いたことないし
勝手気ままに徘徊する老人の姿も見たことないです。
どこの農村の話なんだろう?
痴呆の哲学」、読んでみようかしら。

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