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10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡 [活字中毒のトモ]


(039)10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡 (ポプラ新書)

(039)10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡 (ポプラ新書)

  • 作者: TBSテレビ報道局『生きろ』取材班
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2014/08/01
  • メディア: 新書


サンマデモクラシー」を読んだときに、この方のことがちらっと書かれていました。
なんでも、内地から来た戦中最後の県知事が沖縄県民に慕われたと。
今となっては信じられない話です。いったいどのような人だったんだろう?
気になって彼について書かれた本を探し、本書を読みました。
どうやら、前任の知事は最前線にいるのが怖くて
内地に逃げ帰ってしまったようです。
その代わりにやってきたのが、この最後の戦中県知事だったと。

戦中最後の沖縄県知事は、島田 叡(あきら)さんという方で
以前沖縄県知事を務められた大田 昌秀さんが
「心から尊敬すべき、本物の人物です」と評したそうです。
大田さんがこんなに称賛した島田さんとは一体どのような人?
読んでいくうちに泣けてきました。
この方、びっくりするほど一本気で、同時におよそ役人らしくない
大変気さくな人だったそうです。
敗戦濃厚な 1945 年 1 月に沖縄県知事に就任し、
警察部長と一緒に県民の疎開を推し進め、食料調達に奔走し
最期はどこで亡くなったのか、誰も分からないのだそうです。
遺体は見つかっていないとか。
ですから今も「島田さんはその後もどこかで生きていた」説が
なくならないのだとか。不思議な方です。

高校・大学時代には、野球の名選手だったそうで
当時からチームをまとめる主将として、大変できた人だったとか。
この本を読んで初めて、奥武山公園にこんな記念碑がある訳が分かりました。
そして奥武山公園内にある野球場の名前が
「兵庫・沖縄友愛グラウンド」である理由も。
島田さんが兵庫県出身だったからなのですね。

shimada_san.jpg

この記念碑、昔からあるのは知っていたのですが
書かれている内容を深く読んだことがなかったです。
せっかく近くに住んでいるので、いい機会だと思って訪ねてみました。

この方が、戦後も生き残っていたら、今頃沖縄はどのような県になっていただろう
・・・と思いましたが、生き残っても戦争裁判にかけられて
結局亡くなってしまったかもしれませんね。
本当はこのような方こそ、
長生きして日本の政治を良いものにしていただきたかった。
できれば生きてお会いしたかったです。



(039)10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡 (ポプラ新書)

(039)10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡 (ポプラ新書)

  • 作者: TBSテレビ報道局『生きろ』取材班
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2014/08/01
  • メディア: 新書



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