太宰治の辞書 [活字中毒のトモ]
「配達あかずきん」を読んだ時に、
久しぶりに北村 薫さんの「円紫さんと私シリーズ」を読みたくなりました。
2 年前に、このシリーズの最新刊が出たと知って、さっそく Amazon で購入しました。
ところが読み始めるとさっそく違和感がありました。
なんと主人公の「私」はものすごく年を取っていて、既に結婚して子供までいたのです。
新しい話がリリースされなくても、世間と同じだけ年を取る主人公。
こんなパターンもあるんですね。もっと「私」がどのような男性とどうやって出会ったのか
いつ結婚したのか、いつ子供が生まれたのか等読みたいと思っていたのに
肩透かしを食らった気分です。
しかも、このお話はミステリーではありません。
出版社に勤める「私」が、古い時代の文豪が対談で間違ったことを言ったという記憶を頼りに
作品に書かれている言葉の意図をあれこれ推測して
「もしかしたら、思っていたのと違うかもしれない」事実を突き止めようとするお話です。
最初はピエール・ロチから始まって、三島 由紀夫、芥川 竜之介の作品などが登場し
そのあとに太宰 治の作品が出てきます。
「私」は太宰 治が「ロココ」という言葉をどのように解釈していたのかが
ものすごく気になったようで、太宰 治が当時持ち歩いていたと思われる
「掌中新辞典」の中で「ロココ」がどのように説明されていたかを突き止めたくて
多くの人に会い、いくつかの図書館を訪ねてゆきます。
古い文学作品がたくさん引用されていて、読むのに疲れる本でした。
何の本を読んでいるのか、途中で分からなくなりそうなほど
引用が多くて、こんな作品を読みたいのではなかったのに
読むのをやめてしまおうか、と途中で何度も思いました。
日本の近代の文学作品が好きな人なら、もう少し違った感想になるかもしれません。
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